ある日、娘が学校から帰ってくると、「こっちのサンタさんは馬に乗って黒人の人と一緒にやってくるんよね」と言いました。その紹介ビデオを見せてもらったとか。
語感からサンタクロースのことだとは想像つきましたが、何やら国家的な一大イベントらしく、「その日」まで着々と進みゆく雰囲気に並々ならぬものを感じます。
Rさんのお宅に泊りがけで遊びに行ったとき、子どもたちが離れたその刹那、突発的に「今年のシンタクラース会議」が始まりました。シンタクラースがどんな存在なのかよくわかっていなかったので、?マークをいくつかおでこの上に浮かべながら話に参加していると、どうやら以下のようなことらしいい。
- 毎年12月5日、子どもたちにプレゼントを渡すらしい(え?クリスマスイブの24日じゃないんかい?)
- シンタクラースがスペインから船で到着した(え?船?ソリじゃないん?で、スペインから?)
- お供はピートという名の侍従と白馬らしい(トナカイじゃないんかい?)
各都市の、ところどころの通りでパレードがあるらしく、ちょうど翌日デン・ハーグのフレデリックという白人が多く住む高級住宅街でイベントがあるとのことで出掛けてきました。
トラムを降りるとキャスケットのような赤や緑の帽子をかぶった子どもたちがみな同じ方向に向かって歩いています。メインの通りにはすでに二重三重 の見物客の壁ができていて、見えるのは背の高いこちらの人の背中ばかりです。どうやら、子どもたちにはピートたちがお菓子を配るそうで、その壁の足元をすり抜けて最前列へ押し出しました。
ほどなくすると、遠くからブラスバンドっぽい音楽が聞こえてきてパレードが向かってきているのがわかりました。やがて目の前には子どもたちにジンジャーブレッドなどのお菓子を配るバンや、ブラスバンドを乗せたトラックが現れました。乗っているのは顔に墨を塗りつけた侍従ピートたちです。
つい先ごろ日本では、かつてのラッツアンドスターのように顔を黒く塗って黒人メークをすることが人種差別であることが話題になりましたが、これはどうなの?
どうやら、少し前にこちらでもそれは問題になったらしく、もともと「黒人の侍従、ズワルトピート(黒いピート)」という設定だったものが、いまは単にピートの呼称となり「人種は特に特定していなくて、”煙突をくぐってきたから顔に墨がついた”」という、柔軟(笑)な解釈で、殆どの国民が溜飲を下げてるんだそうです。素晴らしい。
実際に、このトピックを扱ったWikipediaでは
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%B9
伝統的にズワルトピートはスペインから来たムーア人だから顔が黒いのだといわれる。今日では、煙突をくぐってススが付いたから黒いのだという説明のほうが好まれる。ズワルトピートの外見が人種差別だと受け止められることがある。 この例のように、シンタクラースの祝日をめぐる伝統は、数多くの論評、批評、議論、ドキュメンタリー、抗議、ときには祭りの中での暴力的衝突の種にすらなった[10][11]。 とはいえ、ズワルトピートとシンタクラースの祭りは、今日でもオランダでは支持が厚い。2013年の世論調査では、オランダ人の92%がズワルトピートを人種差別または奴隷制度と関連があるとは考えないとし、また91%がズワルトピートの見た目を変更することに反対と答えた[12]。
と紹介されています。
そうそう、我々日本人やアメリカ人が思い浮かぶ、白いふわふわがついた赤い衣装の「サンタクロース」は、1930年代にコカ・コーラ社がマーケティングの一環でイメージを作り上げたという説があります。そのコマーシャリズムに抵抗するマインドもあって、ローマ教皇のようなオーセンティックな衣装そのままの「シンタクラース」なんだそうです。
さて、その国民から絶大な支持を受けるシンタクラースですが、「船が遅れた」「ピートが船に乗り遅れた」など、子どもたちをヤキモキさせる演出とともに、その動向が毎日テレビの30分番組で報じられています。醒めた目線で「子どもだまし」などと言ってはだめ。親たちも一緒になってプレゼントを渡すその日まで、白馬を導くために玄関先にニンジンを置くなどの家庭ごとの演出も怠りません。大人たちが全員一丸となって、子どもたちと一緒に、プレゼントを渡すその日までを楽しむのです。
ついつい悪い癖で、一体どれくらいの税金が投入されてるんだと勘ぐってしまいますが、なんて素敵な風習なんだろうと思いました。ちなみにピートがくれたお菓子はめちゃ不味い(個人の感想です)ジンジャーブレッドでした。